堅物ニュートン
生涯で一度しか笑ったことがないって、そんな堅物を想像できるでしょうか?
では、ニュートンの生涯をざっくりと見ていきましょう。
生まれた時には、すでにお父さんは亡くなっていました。
(まさに、それらしい出だしです。)
ニュートンが3歳の時に、お母さんは養育費のために再婚すること決めます。
それを聞いたニュートンは猛反対
「放火して家ごと焼き殺す」
ってお母さんに言います。
(たった3歳でこの発言をするあたりが、ある意味で天才ぶりを発揮しています。)
ニュートンと聞いて思い浮かべるのは
「庭にあるリンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた」
これ、なんだかとっても軽いんです。
とても、すごい発見だそうですが、なぜかすごく感じがしないのは私だけではないはず。
そもそもこれ、当時の文書記録や物証がないんです。
ニュートンがおっさんになってから、生涯ずっと喧嘩していた「ロバート・フック」と万有引力に関して先取権争いしていた時に、とっさに知人や親類に語った話だと言われています。
つまり後付けなわけで、急に軽い話になったのはこの知人や親類のノリが軽かったってことです。
でも、“微分積分”の産みの親と聞けばまだ、私にも理解が出来ます。
“万有引力の法則”も“微分積分学”を応用して生み出したと言われています。
やっぱり、物理・数学の天才ニュートンです。
国会議員のニュートン
あまり知られていませんが、1689年ニュートンは大学選出の国会議員となって1期を務めていました。
議会って、議員の発言をすべて議事録として記録しているのがすごい。
この時、議会の記録によれば、ニュートンの唯一の発言・・・
「議長、窓を閉めて下さい」
だけ。
ニュートンが「議長、トイレ!」って言って、議長が「私はトイレではありません!」とかも言ってて欲しかったです。
教え子のモンタギュー
ニュートンの教え子には“モンタギュー”がいました。
モンタギューは世渡りがうまく、早々と財務大臣になりました。
モンタギューは1696年に恩師であるニュートンに王立造幣局監事のポストを与えました。
ニュートンは1699年には王立造幣局長官に昇格し、2000ポンドを超える年収を得ていて裕福になっていましたが、イギリス史上もっとも悪名高い投機ブーム“南海泡沫事件“に、ニュートンも乗ろうとし、ブームの期間中株を持ち続けた末に大損してしまったエピソードが残っている。
孤独なニュートン
科学の分野で偉大な功績を挙げたニュートンですが、我が強く気難しくて偏屈なため意見の合わない者は反論の余地すら与えず叩き潰すまで論破したといわれています。
また、ニュートンの講義ではあまりに高度で難解なために生徒はおらず、誰も居ない教室で一人講義を続けていたとされています。
(こんな人を見かけたら絶対に誰も近づきませんよね)
一度だけ笑う
生涯で一度だけ笑ったことがあるらしく、それは論敵がボロを出した時に、ちょっとあざけ笑ったという逸話が残っています。
論敵って、きっと“フック”だと思う。
いかがでしたでしょうか、リンゴが落ちるレアな瞬間を見るって、どれだけ長い時間リンゴを眺めてたのかって思ってる方も多いと思いますが他にもこんなエピソートがあったんです。