この本は、江戸時代に書かれたもので今でも購入できますがめっちゃ高いです!
水野南北が書いているのですが、あらゆる少食を薦める本の元祖とも言えるもの。
もしかしたら、この本を読んだ後は怖くて食べ放題のお店には行けなくなるかもしれませんよ。
水野南北という人物について
約200年前の江戸時代に、人相を見て相手の運命を占う仕事をしていた占い師。
水野南北は、幼少期に強盗をして牢屋に入れられたのですが、その時に犯罪者の顔と一般人の顔に大きな違いがあることに気が付いたようです。
観察の結果、犯罪者の顔は「いかにも悪い顔」をしていたと言います。(これ、私も同感です。)
水野南北は、牢屋を出てから自分の人相が気になって、自分を占ってもらうことにしました。
すると…
「死相が出ているので、後1年は生きられない」と告げられてしまったのです。
水野南北は焦ってしまって、死にたくない一心でお寺に行って出家を願い出ました。
お寺で修業をして、良い行いをすれば、なんとか長生きが出来るかもしれないと考えたわけですね。
でも、お寺の住職に「1年間、麦と大豆のみで過ごすことができたら入門を許す」と言われて、遠回しに断られてしまうんです。
水野南北は、言われた通りに1年間、麦と大豆のみを食べて過ごすことにしました。
1年後、前回と同じ占い師に人相を見てもらうと、なんと1年前にあった死相が消えていました。
水野南北が思い当たるのは食事を変えたことだけでしたので、これをきっかけに水野南北は”食事と運命”について詳しく調べることになりました。
まず調べたのは「10年間運のいい人と悪い人」「長生きな人と短命な人」「出世した人と出世しなかった人」で、他のあらゆるケースも調べ尽くしました。
そして、死体を切り開いて内臓をチェックしたりもしていて「運の悪い人」「早死にした人」の胃腸の色や艶が悪い共通点を見つけました。
水野南北は、ひとつの結論を導き出しました。
それは「食が運命を左右する」ということ。
実際に水野南北は少食になり、出世をして健康なまま78歳まで生きました。
江戸時代の平均寿命は32~44歳だったことを考えると、これは非常に長生きだったということです。
一生に食べられる量は決まっている
水野南北は、人が一生に食べられる食事の量に限界があると考えました。
大食いの人は、少食の人よりも一生で食べられる量を早く食べきってしまうことで病気にかかり、やがて食事が取れなくなって早死にするという理屈になっています。
少食の人は大食いの人と比べて、一生で決められた食事量の限界に達するまでに時間がかかるから長生きできると考えました。
食べ物というのは、天からの恵みであり、食事をたくさん食べるという行為は、天からの恵みである食べ物を余計に取ること。
それは毎日、天に借りものを作っているのと同じで、その借りが大きくなると天が命を奪いにくると考えたんだ。
命は食によって成り立つ、例えどんな良い薬を使ったとしても、食事なしに命を保つことはできないから、人にとって本当の薬とは食事だと考えています。
少食に勝る薬はない
平たく言うと、大食いする人は早死にして、少食の人は長生きすると言っています。
最近の研究結果からも、食事の摂取カロリーを制限すると体力が増して、寿命が30%以上伸びることが明らかになっています。
こんな感じで彼が200年以上前に仮説したことが、最近になって科学的に証明されてきているんです。
少食にすると集中力が上がり、精神的に充実する
お腹がちょっと空いている状態が一番精神的に快適らしいですね。
なぜなら、その状態が人間にとって本来の良い形であるからだそうです。
にもかかわらず、食べ物を食べ過ぎると不快な気分になるんですよね。
実際、大食いの人は胃腸に負担をかけていて、そのために心が乱れているといいます。
人間は少し飢えている状態がもっとも良い状態
ボクサーもマラソン選手も創作活動する人だって、ちょっと飢えているくらいが一番いいパフォーマンスができるようです。
芸能人のタモリは、毎日1食しか食べないし、27時間テレビの司会中は絶対に何も食べないことで有名。
あまりに何も食べないので皆が心配して、そのことについて聞くと「消化はものすごく体力を奪うから、こういう時は絶対何も食べない」と繰り返していたそうです。
食事をたくさん食べると消化するために余計な負担がかかります。
内臓に血液が集まり血糖値が上がるから、その間は頭に血が回らなります。
お昼ご飯を食べ過ぎた後、急に眠くなったりボーっとするのはこのためですね。
頭が回らなければタモリのような司会も出来ないし、話したり文字を書くような知的な仕事をすることもできません。
というように、少食にするだけで集中力が上がって精神的にも充実してくるはずなんです。
少食にすると運が良くなる
生まれながらに酷い人相、不運で体が弱い人でも、少食さえ続けることが出来たとしたら幸福になって長生きすることができると言います。
私が思うに、大食いの人とか酒飲みの人でも成功しているように見える人っていますよね?
でも、水野南北は言うには、暴飲暴食する人は、例え才能や運で成功したとしても決して長続きはしないと言っています。
その理由は、たくさん食べることで体と精神の調子を崩すからで、その結果、運が悪って早死にしてしまうというわけです。
白米と肉を食べてはいけない
水野南北がいた江戸時代は、すでに誰もが白米を食べるのが当然になっている時代でした。
でも、水野南北は白米を食べず、お餅なども口にせず、一日にお碗に3杯ほどの麦を食べて、お酒を一日1合限りと決めていたみたい。
水野南北は、無類の酒好きだったのに、それでもお酒を制限していたそうですよ。
水野南北だって、白米は食べたいという気持ちにはなっていましたが、白米というのは精米することで栄養を削ぎ落して白米にして食べることだから、非常に悪いことだと考えたみたい。
また、水野南北が避けていたのは白米の他に肉も。
肉を食べると心が濁り、大きく出世することができない。また、長生きすることもできず幸せな老後を迎えることができないと本には書いています。
なんで肉を制限するのかというと、肉を食べると、ついつい食べ過ぎてしまうからと言う理由でした。
水野南北は、老人の場合は肉を少し食べることを進めています。
食欲がないのなら食べてはならない
朝って、ぜんぜんお腹が減っていない時ってありませんか?
水野南北は、そんな時は食べなくていいと言っています。
いつもお腹に物が入っているから食べたくなくるんです。
それに、そんな時は味がしないもので、腹ペコだと食べ物は美味しく感じると言います。
それが本来の食べ物の味でで、味があまりしなくなったり、美味しくないと感じる時は食べ過ぎている可能性が高いと書いています。
そんな時、1日2食にすることをおススメしている。
実際にお腹が空いている時は、お味噌汁と野菜だけでも、とても美味しく感じることができます。
もしも食べている途中でお腹いっぱいになったら、水野南北は”捨てることだ”と書いていました。
勿体ないからと言って、お腹の中に入れるくらいなら捨てるべきで、無理にお腹に入れてしまったら、わざわざ消化しなければいけないから、かなり体に負担がかかるので良くないとのこと。
それなら捨ててしまえば、虫や動物が食べてくれるとか…
まぁ捨て方にも工夫がいりますが。
残すのは悪いことなんかじゃなくて、残さない方が悪いこと
私もどうかと思いましたが、それが水野南北の考え方でした。
少食の量について
少食の量は人によって大きく変わりますよね。
腹8分目の感じ方も人によって違うだろうし、体を使って仕事をしている人と、体を使って仕事をしていない人では食事の量も大きく変わります。
激しい肉体労働の仕事をする時は食事の量を増やして、仕事が軽い人は食べる量を減らすべきみたいですよ。
また、体つきや体質、年齢によっても量は違ってくるでしょう。
もちろん若い方が食事の量は増えるけど、それでもお腹が8分目になったところで食事はやめるべきというのは私も賛成です。
食事をコントロールすれば人生は変わる
水野南北は、特に食事にこだわりました。
なぜなら、水野南北は少食にさえしておけば、どんなことがあっても何とかなると考えていたから。
外に出かけ、散財して欲に身を任せたとしても食事さえ慎んでいれば不運になったり病気にかかることもないと考えていました。
それどころか、少食にさえしていれば、長生きもでき、財産を築くことができるとの持論を貫いています。
ただ少食にするだけで、悪いことを遠ざけることができると考えていたようです。
なぜ、水野南北が食事に執着したのかというと、食事の欲が一番強いからだって。
食事のような強い欲求をコントロールすることが出来るような人は、他の全ての物事に対してもコントロールすることが出来るという理屈。
大食いする人は自分をコントロールできていないと考えていて、自分をコントロールする最高の方法が少食だと。
さいごに
この本の元が書かれたのは江戸時代なので、今とは食事の文化がまるで違います。
肉の質も悪かったと思うし、美食だ思われていた食事や労働環境も今とが違います。
私は、半分くらいしか賛成できない内容でしたので、参考程度と評価しています。
私だってね、白米もお肉も食べるし、お菓子やスイーツも食べます。
何をするのかは自分の頭で考えて決めることが大切です。
でも…食べ放題のお店は考えるようになりました…