過ちは人の常
聖書から引用したこの言葉にもあるように、どんな人間も必ず間違いを犯します。
どれだけ全力を尽くしたところで、最善を尽くすことは出来ないものです。
失敗をした時に人は、全力を尽くしたことで自分を納得させているようですが、全力を尽く事と、最善を尽くすことは似て非なるもの。
例えば・・・
どうしても明日の朝までに終わらせないといけない業務があるとします。
いつもの残業だけでは終わりそうもないと判断
頑張って徹夜して業務を終わらせたとします。その結果・・・
帰りの自動車運転で居眠りしてしまい、路肩を走っているバイクと接触!
結局バイク運転者は死亡させてしまうような事故を起こした。
後々判明したことですが、徹夜をしてまで終わらせた業務の期日は取引先のマージンにより、実は次の週明けでもよかった。
といった内容の事例があったとします。
無理なものを無理と割り切る勇気を持ち、冷静な判断が出来ていればこんな過ちは犯さなかったのかもしれません。
この事例から分かるように、これは全力を尽くしてはいるのですが、最善ではなかったんです。
このようなケースが多々あります。
そう、最善を尽くすことは難しく、全力を尽くすだけでは駄目なのです。
最善を尽くすためには
では、最善を尽くすためにはどうすれば良いのでしょうか。
それを補う一つの方法が、より多くの知識を身に着けることにつきます。
どうか多くの知識を身に付けて、出来る限りの最善を尽くして身を守ってください。
決して自分だけが我慢すれば良いとの考えだけは、持つべきではありません。
あなたが痛手を負えば,あなたの知らないところで、あなたに関係する人にも迷惑がかかることがあるってことを知っておく必要があります。
また、この聖書の引用には続きがあります。
「過ちは人の常、許は神の業」(To err is human , to forgive divine .)
これは、私たちは今後も間違いを何度も犯す。
たとえ、過ちが人の常だとしても最善を尽くす方法がこの世に存在しているって事です。