多数決は民主主義の原理
多数決は民主主義の原理と言われていますが、これはいったいどういうことなのでしょうか。
簡単に説明すると「私たちのことは私たちで決める」となります。
では多数決は「私たちのことは私たちで決める」を正しく決めることができる唯一の方法でしょうか。
答えは違います。
だって、物事を決める方法は多数決以外にもたくさん存在しているから。
たくさんある決め方のほんの一例を紹介します。
ボルダルール
決選投票付き多数決
繰り返し最下位消去ルール
チャレンジ型多数決
総当り戦
自由割り当てルール
コンドルセ・ヤングの最尤法(さいゆうほう)
他にも沢山ありますが、ほんの一例を紹介します。
物事を決める方法が世の中にたくさん存在しているのに、なぜ多数決ばかりが採用されるのでしょうか。
多数決とは
会議などを行い、多数の意見をもとに決めること。
だいたいは、投票人数の過半数以上の票を獲得したものに決定することをいいます。
一見平等に見えるこの決め方には大きな欠陥が潜んでいます。
投票する人の中には、それぞれ○○派などの派閥があり、その派閥のボスの意見に側近者は従います。
自分の頭で考えて投票するのではなく、ボスの投票に合わす傾向があります。
こうなれば、多数決の皮をかぶった独裁制。
多数決には使用条件がある
先に述べたように多数決には欠陥があります。
これを補うためにも使用条件を守る必要があります。
1.多数決をする皆に共通の目標があること
例えば「安全にしたい」などの目標がおなじであることが大前提。
その上で、それを実行するための複数の案を決めるとき。
たった1人でも「この議論はおかしい」どれを選択しても良い結果が得られないとなれば多数決は行うべきではありません。
2・投票者が自分の頭で考えて投票すること。
「多数決とは」で書いたように、その中のリーダーに従うような状態であれば、それは多数決ではありません。
自分の自由意志を反映できないような環境では多数決を行うべきではありません。
3.重要すぎることには使わない
そもそも、議題にあげてはいけないモノもあります。
倫理に反するものを多数決で決めると、大変恐ろしいことになります。
決める方法が変われば結果が変わる
同じ議題で、複数の決定方法を実践してみると結果が変わることがよくあります。
もちろん圧倒的な差がある場合は、どの決定方法を選択しても答えが変わらないケースもあります。
それでは、他の決定方法を紹介しますのでご覧ください。
繰り返し最下位消去ルール
2020年のオリンピック候補地選びで使われた決定方法。
初めは普通の多数決を行います。
その多数決で最下位になった候補を外して、もう一度多数決をします。
これを繰り返して最後に残った候補が決定となります。
2020年のオリンピック候補地は、東京・イスタンブール・マドリードの3つでした。
はじめの投票で、マドリードが落選し、次にイスタンブールが落選しました。
決選投票付き多数決
初めは普通の多数決を行います。
票が過半数に達しなかった場合、上位の2つでもう一度多数決を行います。
はじめの投票で、割れた票をもう一度投票し直しますので多数決よりも精度があがります。
この方法は、フランスの大統領選挙では採用していますがアメリカでは採用していません。
だから、アメリカ大統領って・・・
ボルダルール
私は、この決め方が最も民主主義に近い決め方だと考えています。
多数決は、自分の中の1位しか決めませんので、2位、3位とそれぞれ本当は順位が細かくあるはずです。
それらを、無駄なく吸い上げて結果に反映しているのがボルダルールです。
つまり配点式の決め方。
例えば選択肢が3つある場合
1位に3点、2位に2点、3位に1点と各自が投票します。
投票された点数の合計点を集計して、一番点数の高かったものに決定する方法。
これだと、2位以下の微妙な意見も反映されているので満場一致に最も近い選択方法と言われています。
まとめ
満場一致となるのが一番望ましいことで、そうなればなにも決める方法から迷う必要もありません。
ですが満場一致なんて、なかなかありませんので私たちはいつも正しい決め方を選択する必要があります。
バカの一つ覚えみたいに多数決ばかり採用する考え方を一度見直してほしいと考えています。
投票というのは、私たち自身が試されていることを忘れないでください。
今回の記事は、1972年にノーベル経済学学賞受賞の経済学者ケネス・アローの社会的選択理論を参考にしました。
個人が持った多様な意見を社会的決定に導く研究を行っていた人です。
わかりやすく言うと「みんなの意見を無駄なくどうやってまとめるのがよいのか?」です。
この研究でケネス・アローは、多数決には欠陥があるとはっきり指摘しています。
参考記事:満場一致こそ疑うべき理由