人の目を意識しすぎて、それはもう気苦労が絶えないメンバーが私の職場にいます。
職場での私のキャラクターでは、このメンバーにアドバイスをしても効果がありませんので、直接彼にアドバイスすることはしませんが、私なりに思うところもあるので記事にしました。
多くの人は他者と、見かけ上のコミュニケーションを優先する傾向があります。
私は、自分自身とのコミュニケーションを優先するべきで、できる限りありのままの自分でいられるように、自分自身を満たしてほしいと考えています。
人間的な価値
「自分は他者からどう思われているのか?」などの他者からの評価によって、人間的な価値が決まると思われます。
でも「他者がどう思っているか?」なんて誰にもわからないので、そんな事ばかり考えていると、だんだんと自分の存在価値が少ないように感じてくるかもしれません。
哲学者じゃなければ、誰にもわからないことを考え続けるのは止めたほうがいいと私は思います。
謙遜のしすぎはダメ
「他者がどう思っているか?」なんてことをずっと考えている人ほど、他者からの評価を求めているはずなのに、その評価を拒むという傾向が強くなるみたい。
例えば、労いの言葉や褒める言葉を言われると「いえいえ、そんなことはありません」などと謙遜し、受け取らないことも多い気がします。
人間は、かかわりの中で心が満たされることを望んでいるはずなのですが、本当の気持ちではない逆の態度を表すことがよくあります。
こんな事を考えていたときに、臨床心理の本を読んでみると、こんな事が書いてありました。
他者の視線が気になってしまう人の一番の問題は、過去の体験以上に、今の自分が自分自身を満たすことを、自ら跳ねつけてしまうことだ
そして、臨床心理の用語では、このような状態(姿)を「マスク」と呼ぶそうです。
『マスク』…ふりで社会に適応する
マスクとは、文字通り「仮面」という意味で、本来の自分自身の姿を隠すもの。
人間は、大人になればなるほど別な姿を装い「 ~ なふり」をします。
善良であるふり、愛情があるふり、謙遜するふりなど。
ふりをすることで社会に適応し、他者からの評価を得られるのですが、過度に適応してしまうと、本当の自分自身から遠ざかってしまいます。
ここまで読めばなんとなく気が付いた人もいるかもしれませんが「マスク」は嘘をつきます。
自分の心に届けられた言葉を「そんな事ありません」と跳ね返してしまうから、心の空間を埋めることができなくなります。
そして、その言葉を届けてくれた相手にも感謝を伝えられなくなります。
逆の立場になればすぐに気が付くことですが、「ありがとう」と言われたほうがうれしいはずです。
心に届いた言葉を受け取ることで、相手にも喜びを与えられることになるから、積極的に受け取ってほしいと思いました。
そして、一緒にうれしさを共有できれば、それはきっと幸せな体験になるはず。
さいごに
この記事で私が言いたかったことは、主体的な意図を持つことはとても大切ってこと。
遠慮や謙遜をしないで、なんでも自分から手を伸ばしてほしいと思います。
これは、後々の「自立性」に大きな違いが出てくるからです。
偶然目の前に届けられるものを待つ人と、積極的に手を伸ばして、自分に与えようとする人では、後々の自立性に大きな違いが生まれます。
よくある場面ですが、みんなでおやつを食べていると、お皿に一つ残っていることがあります。
自立性を養うための練習として「これは私が貰ってもいいですか?」と言ってみましょう。